自信がないのは怠惰なだけかもしれない。  

私ね、ヴィクトリア・ベッカムが大好きなのですよ。

 

のっけから何事!?と思うかもしれないけれど、まぁちょっと聞いてください。

 

Backstage in my favourite cosy cashmere jumper and pants from #VBAW17 ! X vb

A photo posted by Victoria Beckham (@victoriabeckham) on

 

 

以前、ちらっと仲良い友達に「ベッカム夫妻がね…」という話をしたら、「私、あの夫婦二人とも大嫌い!お互いがお互いのことをアクセサリーとして思っていない感じが心の底から嫌だ」と言い出されて、恐縮しちゃって言えなかったことがあるんです。

 

私、大好きなのに。

 

友達がベッカム夫妻を嫌いなのは別にどうでもいいんですが、なんとなく言えなかったんですよね。

 

 

当時の自分の心理を振り返ると、

「ヴィクトリアとベッカムが好きなんてミーハーすぎる、彼らのことを好きだなんて言ったら、私バカにしか見えないかも?バカだとは思われたくないなぁ、しかもなんか友達は正論のようなことを言ってる。私には見えない何かが友達には見えてて、私には見えていない…!」

という気持ちがあったかもしれません。いや、ありましたよ。

 

ヴィクトリアのこと大好きなのに、たいそう失礼な話ですよね。ごめんなさい。

 

で、なんでわざわざこれを書いているかと言うと、人と話す時に私はこういう話し方をたまにするな、とふと今日思ったんです。

 

自分は本当は好きなのに、他人の目を気にしてなんとなく言えなかったりだとか、他人の意見によって自分の意見を変える勇気もないけど、主張し続ける強さもなく。

結果あやふやにしてしまったり、ちょっと言い訳してみたり。

 

これって結局、自分に対する自信のなさだなぁとつくづく思います。

 

ヴィクトリアが好きだという話は小さな小さな例だとしても、全体的に自分に自信がないからこういう話し方になってしまうんだろうな、と思ったわけです。

 

自信を持つ(私の場合は、厳密に言えば“自信の回復”なんですが、話しは長くなるのでまたいつか)というのはなかなか難しく、どうしたらいいかっていうことにはもちろん答えはありません。

 

でも自信がないまま人生を送るには、人生は長すぎる…!つらい、つらすぎる…!

 

で、ひとまずは自信がない自分を自覚する、というところから始めてみたらいいのではないかと思ったわけです。

 

今まで、自分の自信のなさは「なんとなく取り繕う」という形で誤魔化してきて、自覚することから逃げてきた感がすごくあって。でもそれじゃあ、絶対に状況は悪化するばかりだと認識もある。

30歳も数年過ぎたのにこんなこと、私だって言いたくない、書きたくないんだけど…!

 

でも一旦きちんと自覚して、受け止められたら、自信がないことをもう一度見ないふりをするってなかなか難しいですよね。後は対策講じていくしかない。もう前しか見えないじゃん!自信満々の私が返ってくるのも遠くはない!と思った次第です。

 

自信がないなら、自信を持てばいい。自信が持てるように、努力したらいいと思う。それをやらないのは、怠惰なのではなかろうかと。

 

ちなみに、私がヴィクトリアを好きなのはデイヴィット・ベッカムの嫁という立場やスパイス・ガールズとして成功したから、ということではなく、彼女が相当な努力家でワーカホリックだから。自分にとても厳しく、妥協を許さない人だから。その結果が、ビジネスの成功。

 

ベッカムの嫁と、スパイス・ガールズのポッシュという立場が彼女のブランドに貢献していることは確かだとしても、彼女の努力なしには絶対に成し遂げられないことだと思うんです。

 

努力している人が好きなのに、自分は努力を怠り、自信が持てないというこの矛盾。

 

努力を怠らない。いつかそれがきっと自信につながる。そういう風に信じることがすでに自信を持つ第一歩ではないでしょうか。

 

かと言って、その“いつか”なんていつ来るのかわからないから、まずは他人を気にせずに、自分の好きなことや意見を言ってみること、その強さを持とう、と思います。

 

 

そうそう、ヴィクトリアが好きな理由はもう一つ。

自分の信じる道を信じ続ける強さ。私が好きな女性はみんなそうだな。

 

自分の人生の主役はやはり自分しかいないし、自信のない人生を送ることほど苦痛なことはないので、これを書くことによって自分への戒めとさせて頂きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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