Last Updated on 2022年4月12日 by Jo
先日朝起きたら、「某有名俳優が芸能界を引退」というニュースが飛び込んできました。個人的に彼のことは、好きでも嫌いでもないのですが、彼の引退表明までの背景、彼の直筆ファックスの内容があまりに胸を引き裂く内容だったので、本日は遠い異国の地・ベルリンにてこのニュースについて考えてみたいと思います。
芸能界引退までの道のり
ことの発端は薬物疑惑。この薬物疑惑について、私には真偽の程はわからないので、コメントはしません。私が気になったのは、引退表明のファックスの中にセクシャリティのことが書いてあったこと。
以前から、彼のセクシャリティについて言及している記事を見かけたことはありますが、今回彼の引退のことをトピックにしている複数のサイトで彼のセクシャリティについて書いているものを見ました。
中には、「薬物問題とゲイ疑惑、両方を晴らさなくてはいけない」と書いている心無い記事も。
もうね、私、この記事を読んで心が暗くなりました。まだ日本ではこんなこと言ってるのか…。
件の彼が同性愛者かどうかってことは存じ上げませんけれど、異性愛者だとしても同性愛者だとしても何が問題あるのでしょう?
ゲイだって、レズビアンだって、トランスジェンダー、ストレートだって、何でもいいじゃん!同性愛とか、話し方、振る舞いが女性らしいことは、何も恥ずべきことではないです。
恥ずべきは、セクシャリティがさも問題かのように報道する人、それからそれをおもしろがる人、非難するような口ぶりで話す人。
きっと彼はこういう報道に今まですごく傷ついてきたのでしょう。自分を隠しながら、偽りながら生きるってどれほどつらいことだろうと思うと、涙が出そうです。程度の違いはあれ、一度でも自分を偽って、苦しい思いをした人なら、わかるはず。
一人の人間が傷つけられた、ということと、もう一つ。
この事件は、今自分のセクシャリティで悩んでいる人たち、特に10代の子たちに深い傷を与えたのではないだろうかと危惧しています。彼らの心のドアを開いてあげる役割をするべき大人たちが、ドアを閉め、幾重にも鍵をかけようとしたことに激しい怒りを感じます。
何事にも寛容な寛容な都市・ベルリン
ところ変わって、私の住むベルリン。
昨日、近所を歩いてたら、モデルのようにすらっとしたアジア人男性とドイツ人らしき男性が腕を組んで歩いているところを見かけました。2人はニコニコ笑いながら雑談していて、私は普通に「いいなぁ、幸せそう!」と思って2人を通り過ぎました。
特に私の住むエリアはSchöneberg(シューネベルグ)で、ベルリンのゲイタウンと呼ばれるNollendorfplaz(ノーレンドルフプラッツ)が近くだということもありますが、ベルリンにはこんなカップル、たーーーーーーくさんいますよ!
以前、私が働いていた会社にもたくさんのLGBTの人たちがいました。私の席の隣はレズビアン、その隣はゲイ、そして私の後ろの席もゲイ。
ベルリンでもまだまだ自分がセクシャルマイノリティだと公言できない人、葛藤している人はまだまだたくさんいるとは思いますが、日本、もしくはその他のヨーロッパの都市に比べてもはるかに寛容な都市だと言えます。
日本の状況に絶望したら、ベルリンにおいで!
暗くてよくわからなかったけど、前述のアジア人男性は日本、韓国、中国などの極東アジア人のように見えたので、もしかしたら自分の国では自分自身のままでいれなかったかもしれません。
しかし、ベルリンではセクシャリティに関しては偽ることなく、自分らしく生きれていれているのではないでしょうか(あくまでセクシャリティに関してであって、ベルリンだからってすべてを人が自分らしく生きているわけではないですが)
以前、オーストラリア出身のゲイの男の子が、「シドニーではまだまだゲイを公言して生きることは難しい。ベルリンはゲイフレンドリーの寛容な街だ。それがベルリンに来た理由の一つでもある」と言っていたことがあります。
日本に比べるとはるかにゲイフレンドリーなオーストラリアでも、田舎に行けば差別はあるし、そこで自分らしく生きることは困難だ、と。
自分らしく生きるために選んだ場所、それがベルリン。そう、ベルリンはそんな街なのです。
個人的には「ありのままの自分で生きる」という概念は、成長を妨げる気がしてあまり好きではないのですが、自分を偽って生きなくてはいけないということほど悲しいことはありません。
日本がセクシャルマイノリティに対してもっともっとオープンに、寛容になってくれることを期待しますが、もしその状況に絶望したら。
苦しくて、息ができないと思ったら。
ベルリンがあなたを待っていますよ。