毎朝8時ごろ、枇杷と朝の散歩に出かける。
いつも歩く小さな公園の近くに、教会がある。
ノートルダム大聖堂のような荘厳なものではない。
質素な、小さな教会だ。
枇杷と毎朝そこを通るようになって、初めて気づいた。
朝になると、その教会へ通う人たちがいる。
毎日同じ時間に、静かに扉の向こうへ入っていく人たち。
私はこの街に住んでいたのに、
枇杷と歩くまでは、そのことを知らなかった。
私には信仰がない。
おそらく、これからも持つことはないと思う。
それでも、彼らはなぜ毎朝ここへ来るのだろう、と考える。
何を願い、何を赦してほしくて、何を失わないように祈るのだろう。
そしてふと、自分にも祈ることがあるのだと気づいた。
枇杷が長く、幸せに生きますように。
昔一緒に暮らした犬たちが、どこかで穏やかでありますように。
信仰はなくても、
人は願わずにはいられないことがある。
もしかしたら、祈りとはそういうものなのかもしれない。

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