リトアニア二日目。

リトアニア二日目。

夏の終わりのVilniusは雨が多い。この日もしとしとと雨が降っていた。
ゆっくり、でもたらふく朝ごはんを食べた後街に繰り出す。

Vilnius Picture Gallery(ヴィリニュス絵画館)へ。

 

常設のリトアニア美術に加えて、この日は 「The Caravaggio Question(カラヴァッジョを巡る論争)」 と

Wincenty Sleńdziński(ヴィンツェンティ・スレンジンスキ)というポーランド系リトアニア人のリアリズム画家の回顧展も開催されていた。

その中でも、とても印象に残ったのが、ロザリオを手にした女性の絵だった。

疲れた目。荒れた手。そしてロザリオ。
この女性は、何を祈っていたのだろう。
明日は今日より少し暮らしがよくなりますように。そんな願いだったのかもしれない。

彼女の願いは叶ったのだろうか?

それはもう知ることなんてできないのだけれど。

制作年は1889年。この年、パリではエッフェル塔が完成し、万国博覧会が開かれている。

どうしても私は、この時代のヨーロッパと聞くと、モネやセザンヌ、ドガ、ピサロ、ロダンといった芸術家たちが活躍していた、華やかな都市文化の方を思い浮かべてしまう。
だからこそ、貧しさそのものがこれほど正面から描かれていることが新鮮だった。

1889年のリトアニアは、まだ独立国ではない。帝政ロシアの支配下にあり、人口の多くは農村に暮らしていた。

近代化や工業化も西欧より遅く、1861年に農奴制が廃止された後も、多くの農民は貧しい生活を続けていた。

同じ1889年でも、パリの「光」とリトアニアの農村の「影」はまったく違って見える。

ただ、おそらくフランスでも、地方の農民は決して豊かな暮らしをしていたわけではない。私がこの時代のフランスについて、都市部の華やかさばかりを見ているだけなのかもしれない。

 

美術館を出た後は、ジョージア料理を食べに行った。

今回の旅では、もちろんリトアニア料理も楽しみたかったけれど、それと同時に、旧ソ連圏の国々の食文化をたどる旅にもなっていた。

ジョージア、ウズベキスタン、リトアニア。ひとつの「旧ソ連」という言葉の中に、こんなにも違う文化がある。

いつか、リトアニア以外の旧ソ連国を旅してみたい。そんな思いも去来した。

 

 

この旅に来るまで、私はリトアニアにはもっとソ連時代の建物が街中に残っているのではないかと思っていた。

たとえば東ベルリンのフランクフルター・アレーのような、大規模な集合住宅や社会主義建築が旧市街の中にも混ざっているようなイメージを持っていた。

けれど実際に歩いてみると、淡いピンクや黄色、クリーム色の建物が並び、バロックや古典主義の教会が街並みに溶け込んでいる。私が想像していた「旧ソ連の街」とはずいぶん違った。

考えてみれば当然で、リトアニアは長くポーランド=リトアニア共和国の歴史を持っている。ソ連時代だけでは、この国の景観も文化も説明できない。

 

午後は丘の上にある要塞跡の博物館へ。

 

Vilniusの街並みが一望出来てよかった。

【デジカメ写真】

 

そして夜は、リトアニア料理。

この日は、美術館で見た一枚の絵から、19世紀のリトアニアと西欧の違い、街並みに残る歴史、そして旧ソ連圏の文化の多様さまで、いろいろなことを考えた一日だった。

【デジカメ写真】

 

【デジカメ写真】

 

*間違えがあったのであげなおしました。

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