Last Updated on 2022年4月12日 by Jo
最近同僚のお腹が出てきたなぁと、なんとなく思っていたが、どうやら妊娠していた。最近パートタイムになったこともあり、同僚とランチに行くことが減り、なかなか会う機会がなくて、うすうすしか気が付けなかった。
や~、うれしい。
彼女にとってみたら、お腹の子供は2人目なのだけれど、ほぼ12年ぶりの妊娠。一人目の子どもの時はまだ彼女が20代前半だったこともあり、体調や感覚がまったく違うのだそうだ。
来年の3月に出産予定とのこと。うれしい。自分のことのように、うれしい。
というのも、彼女、これまで大変な思いをしてきたのだ。
彼女の出身はタジキスタン。知らない人のために下に地図を張っておくけれど、同じアジア圏と言ってもなかなか日本人には馴染みがない。
アフガニスタンや中国と隣接するイスラム教徒の多い国である。
日々、やれドイツ生活がつらい、ビザ取得が大変、なんて言っている私ではあるけれど、彼女の前ではそんなこと絶対に言わない。そして言えない。なぜなら、私たち日本人以上にタジキスタン国籍の人はドイツのビザ取得が大変だから。
同僚は比較的裕福な家に生まれた。そして裕福な男性と結婚したと思う(なんでも、聞いた話によるとその地域の首長の一族だとか、違うとか)。恋愛結婚ではあったけれど、そこはムスリムの地域柄。結婚するにはお互いの家族の承認が必要で、かつ結婚相手の身辺調査もきちんとしたらしい(おもしろいのは、身辺調査と言っても探偵などに調査を依頼するのではなく、相手方の近所に住む親戚に評判を聞くだけのことらしいけれど)。
この家族の承認というのが、なかなか複雑で、同じ言語を話さなかったり、宗教が違ったりすると、結婚はなかなか厳しい。
タジキスタンについては私もあまり知識がなかったが、どうやら旧ソ連の一部だった時期もあったようでロシア語が長らく公用語だったこともあるらしい。それで多くの人が第二言語としてのロシア語スピーカーなのだそうだ。住民の大多数がペルシア語系のタジク語という言語を母国語として話しているらしいけれど、そこは多民族国家・タジキスタン。様々な言語があり、私の同僚はパミール語という言語を母国語としているのだそうだ。
複雑・・・。
とまぁ、同僚の場合はすんなりと結婚は許してもらえて、子供を産んだはいいけれど、そこからが大変だった。子供は、かわいいかわいい女の子。
日本だって男女同権なんて程遠いけれど、タジキスタンのそれは日本の比ではない。「女」として生きていくには、タジキスタンにはあまりにも希望がない。それを私の同僚は身をもって感じていた。学歴がないわけではない、能力がないわけでもない。「女だから」という理由で、男性に与えられるチャンスが自分たちにはない。
日本ではあまり知られていないが、タジキスタンは90年代に内戦を経験している。ユーゴスラビアの内戦を例にとってみても、内戦の傷跡が20年足らずで完治するわけがない。男尊女卑、腐敗した政治、希望のない未来。
同僚夫妻は考えた結果、タジキスタンを出ていくことにした。選んだ先は、ドイツ。
私の同僚であるMがミュンヘンの大学院に受かった。旦那さんの方は受からなかったのか理由はわからないけれど、その時点でドイツに来る資格があったのはMだけだったので、旦那と子供はタジキスタンに置いて、単身ドイツに来て、猛勉強。
元々恐ろしくスマートな女だけに、なんと主席でドイツの大学を卒業するすさまじさ・・・!
ドイツはこちらの大学を卒業すると1年間のビザ(名前がわからない、でもドイツで就労できるビザです)がもらえるので、それで今働いている会社へ就職、ベルリンへやってきた。
就職したら家族を呼び寄せられる!と思っていたMはそこでもベルリンの外人局員に打ちのめされる。
家族を呼び寄せるには収入が、足りない(ベルリンで生活することにおいて足りないのではなく、家族ビザを発行してもらえる基準額に到底満たないという意味)。そして、直面する仕事の問題。
ドイツ企業は数字が取れない人やモチベーションや熱意が見られない人は、容赦なくクビ。「この仕事に人生かかってるんです」と泣き喚いても、結果がすべて。私の会社も、その最たるもので3か月以内でクビが飛んだ人なんて多すぎてわからない。
極度の緊張の中で働いていた彼女。セールスをする時も、ねばりが半端ない。入院中の患者に向かって、「パソコンでクリックはできるでしょ?やってくれる?」はもはや伝説である。言えないわ、へなちょこの私には・・・!
そうした甲斐もあって、職場の上司の信頼も厚く、やっとやっと旦那さんをドイツに呼べるようになったのが、約1年半前。でもね、その時子供は呼び寄せることができなかった(この時も収入額が基準に達していなかったから)
人権問題の意識が高いこのドイツで、親と子供が離れて暮らす事態があろうとはと衝撃を受けたものだ。ビザに関して寛容なドイツでさえ、発展途上国の人に対してはこういう態度を取るのだ。
子供はおばあちゃんに託し、とにかく彼女をドイツに呼び寄せたい一心で、本当に彼女たち夫妻は身を粉にして働いたと思う。
同じチームだったから、私は知ってる。どれだけ一生懸命に働いてきたかってことを。
そして晴れて今年の4月から、親子水入らずで暮らすことができるようになったのだ。そのニュースを聞いた時、彼女たちの今までの苦労が報われた気がして、ただの同僚の私も本当にうれしかった。
顔がね、本当に違うんです。ドイツにいると、日本人の私でさえ戦う顔をしているけれど、タジキスタン出身の彼女のそれはさらにだったと思う。
そして今日聞いた彼女の妊娠。
うれしいはずだよ、だってあれだけがんばってきたんだもん!
そして今から新しい子供と4人でこのドイツを生きていくのね・・・と思うと、他人のくせに目頭が熱くなりそうだった。
私たち日本人よりも大変な人がいるから、愚痴を言ってはいけない、という話でもないし、日本人で恵まれてる、幸運だ、という話でもない。
でも彼女のような人に会うと、背筋が伸びる。プラウドに生きていきたい、と心の底から思うのであった。