Last Updated on 2022年4月12日 by Jo
前回書いた記事 ベルリンで見る2回目のワールドカップで、「オシムの言葉」を紹介しました。この本はイビチャ・オシム監督を軸にユーゴスラビアサッカー、そしてバルカン半島の激動の90年代が書いてあります。
著者の木村氏のご本で、私が他に読んだことがあるのは「終わらぬ 民族浄化 セルビア・モンテネグロ」という本なのだけれど、他の本も読んでみたくなって「悪者見参」というタイトルの本を手に取ってみました。
悪者見参ってどんな本?
「オシムの言葉」がそのタイトル通り、オシム監督を軸にして書かれているのに対し、「悪者見参」は、以前Jリーグでも活躍していた、セルビアの国民的英雄であるストイコヴィッチ選手に重きを置きながら、ユーゴスラビアのサッカー代表“プレーヴィー”を軸として書かれています。
ストイコヴィッチ選手の類まれなる才能は当時のサッカーファンであれば、誰もが知るところであると思うけれど、彼の祖国・ユーゴスラヴィアの崩壊、そして内戦もまた彼のサッカー人生を語る上で欠かすことができません。
内戦、民族浄化、血と血の争い、憎しみ、そして終わらない悲しみ。彼、そして当時のユーゴスラヴィアの選手たちほど、民族に翻弄されたサッカー選手はどこを探しても見つからないでしょう。
私は一時期旧ユーゴスラヴィアにとてもはまっていた時期があり、そのきっかけというのが「オシムの言葉」でした。
そもそもユーゴスラヴィア内戦当時、私は幼く、セルビアへのネガティブキャンペーンを聞かずに済んだおかげで、セルビア悪玉論を刷り込まれていませんでした。オシムの言葉を読んだことで、むしろセルビアはいつか行ってみたい国の一つにすらなりました。セルビアはどんなところで、どんな匂いがして、どんな人たちがいるのだろう。情報が少ない国に対する好奇心は、無限に広がります。
ベルリンでのセルビア人のと出会い
個人的な話になるのですが、ちょうどその頃私はベルリンに引っ越し、一番最初に出会ったのは、セルビア人でした。彼のフラットを借りて一緒に住むことになったのです。ちょうどベルリンに来る前に木村氏の本を読んでいたので、とても興奮したことを覚えています。
最も印象的だったのは、彼のお部屋には旧ユーゴスラヴィアの地図が張ってあったこと。もう、崩壊してしまった国の地図を彼はどんな思いで見ていたんだろう、と今でもたまに考えることがあります。
彼は旧ユーゴスラヴィアのノビサドという、現在のセルビアの街で生まれたセルビア人だったけれど、父親はシリア人だと言っていました。血にこだわる(と思っていた)セルビア人が違う民族と結婚していることにとても驚いた記憶があります。そして、セルビアの民族って父方の民族で決まるのではなかったっけ、と当時思っていたのですが、今回この本を読みなおして、5年ぶりに解決。
自己申告なんだって、もともとは。当時のユーゴスラヴィアには厳密な規定なんてなかったらしく、あくまで自己申請だったのだそうです。そう、戦争になるまでは。
また別の思い出として覚えていることが、私のフラットメイトのセルビア人はよく私の食べ物を勝手に食べてな~ということ。私はそういう行為に驚愕し、最終的に嫌になって出て行ったのだけれども、もともとセルビア人というのは陽気で楽観的な民族なんですね。
私が神経質になってただけで、彼にしてみれば、そんなことどうでもいいじゃないか、という感じだったんでしょうね。
そういえば、一度だけ、彼が私の言葉に固まった時があったことも思い出しました。それは私が「セルビアはランドロックカントリーだよね?」と聞いた時。
Landlocked country というのは、陸地ばかりで海がない、という意味なのだけれど、その時彼はすごい剣幕の顔をして、強い口調でNoと言いました。
この本を読んで、その時の意味がわかった。セルビアは8年間も経済封鎖されていたんです。経済封鎖によって、食べ物も薬すら届かなくて、助かる命さえ助からなかったのだそうです。
Landlocked countyに反応したのは、「孤立した国だよね?」と誤解したからだろうと思われます。彼はNATOの空爆から数年後、貧しさに耐えかねて、違法移民としてベルリンにやって来たのでした。
またある時は、一緒に散歩している時に、なんかのイベントで花火が上がっていました。その時彼が「おれは花火が好きじゃない。今でも怖いんだ、NATOの空爆を思い出すから」と言った言葉が今でも忘れられません。
様々な民族の集まるベルリン。ハウスメイトが全然どこにあるか知らない国の人ということもよくあります。そんな時、少しでもその国に対する知識があるとよい関係性が築けるのかもしれません。
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