Last Updated on 2022年4月12日 by Jo
はぁ~今日は本当に疲れる1日でした。
朝一番で入れていた大事な大事なミーティングをこちらのミスでリスケジュールにしてしまうという大失敗をおかしてしまいました。クライントや会議に参加してもらう予定だった有識者の方へ連絡したり、会議に関わっていた同僚とやり取りしたりで、今日やりたいと思っていたことが何もできない、という悪夢のような一日でした。
そんな中、自分の働き方の弱点が見え、また、英語で人を説得する能力に欠けるという改善点も見えて、かなり勉強になりました。働く女は本当にただでは起きない。何かをつかんでからではないと起き上がらないし、むしろ何かをつかむ為なら転んでもいい、とすら思えてきます。30半ばの女って、タフ。
前述したように今日はいろいろな面白いことが見え、英語で人を説得する力がないことや、上司に励まされ、いい上司の条件とは何かとかも考えたのですが、自分が問題にぶつかる中で仕事ができる人の条件とは何か、ということを強く意識しました。
もちろん場面場面でたくさんあるのですが、本日痛感したのは、
問題解決ができない人間を「できる人間」とは決して言わない。
ということ。私は営業成績も悪い方ではないし、きちんと仕事はこなして行けるし、自分の会社員としてのスキルをある程度信用してます。特にこの1年間、一生懸命やってきたことがちょっとずつ自分の自信になっている気がしていたんです。
が、だめですね。問題が発生しないように策を講じることは比較的得意なのですが、問題が起こった時に焦ってしまう。
自分に決定権がないこともあるけど、上司の指示を仰いでしまう自分がいます。つまり問題解決を一人でできず、誰かを巻き込むことになるんですね。
人生もそうですが、問題が発生しないようにすることも大事だけれど、実際は予期せぬ問題が発生することなんて日常茶飯事。問題が発生してから解決する能力が求められる場面が圧倒的に多かったりしますよね。
仕事で失敗したことがないとは言わないけれど、今まで誰かがそれをカバーしてくれていたかと思うと、冷や汗をかくし、今さら感謝したい気持ちにすらなります。
私の印象ですが、もしかしたらこれは国民性の問題もあるのかもしれません。TOYOTAのKAIZENのように、問題が起こらないように改善を重ねていく日本社会と、問題が起こった時にどう対処するのかが重要な欧米社会。
あくまで印象ですが、もしかしたら私だけの問題ではなく、国民性なのかもしれません。
でも改善や予防って、正直に言えばある程度の方ができることだと思うんです。もちろん私も含め。だって平常心の時にやれることですから。でも非常時にこそやはり人間の真価は問われると思いますし、それができる人こそやはり「仕事ができる」という言葉に値するのではないでしょうか。
そう、働く女に対する最大の賛辞は「できる女」。せっかく一生懸命働いているのだから、それくらいの賛辞は、頂きたいじゃないですか。