Last Updated on 2022年4月12日 by Jo
ベルリン生活を振り返るシリーズ5回目です。1年目、2年目とつらい日々が続いたのですが、3年目からドイツ生活のつらさが緩和していき、4年目くらいからはだんだんと楽しくなっていきました。
楽しくなるの、超絶スローペースですね・・・
楽しかったベルリン生活
2017年はこの6年のベルリン生活の中でもとても楽しく、思い出に残る年となりました。
2016年くらいから友達の輪がぐっと広がったので、遊びに誘われることも多かったし、気の合う友達もたくさんできました。結局ね、どこに住んでいようと、周りにどんな人がいるかってすごく大事です。
どんなに好きな場所にいたとしても、孤独だったらやはり精神は健全ではいられない、つくづくそう思います。
この頃は様々な困難をドイツで乗り越えた後だったので、ちょっとのことじゃ動じない精神力を身に着け、毎日穏やか~な気持ちで過ごせてました。
私の場合弱ってる時や助けてオーラが出てる時はまったくモテなかったのですが、精神が穏やかな状態で安定したことにより、ちょっとしたモテ期(といってもたいしたことない)がやってきまして、今のパートナーともこの時期に出会いました。
「弱ってる時や助けてオーラが出てる時はまったくモテなかった」と女友達にこないだちょうど話したら、友達は逆に「弱っている時ほど男の人が寄ってくる」と言ってました。人のモテ要素ってそれぞれ違うんだなぁとしみじみ思ったのでした。
フリーランスから会社員に戻った
でも、この頃仕事はあまりうまくいってなくて、2015年の12月から始めたフリーランス業は2017年4月で廃業しました。失敗した理由はわかっているのですが、あまりに個人的なお話になるので割愛。
でも一度失敗したからってそれで諦めるわけではなく、その失敗を糧にして、再度チャレンジすればいい、というのがわたしの考えです。1年半くらいのフリーランス業務は本当にいろんなことをわたしに教えてくれました。
で、会社員に戻りました。
経済的にひっ迫してなかったらフリーランサーを細々と続けていったと思いますが、経済的にかなり危機的状況だったので、就職しました。
1か月くらい集中して探してたら運よく拾ってもらえて、本当にラッキーとしかいいようがありませんでした。
ブログはこのあたりに書いてるのが関連です。
【ドイツ就職】ドイツ語なし?ベルリンでの就職は英語だけで大丈夫?
就労ビザの条件が緩和された
この年、わたしの就労ビザの制限が緩和されました。今までは会社で働く場合は、働いている会社の名前がビザの中に入っていたので、「会社を辞める=ビザがなくなる」でしたが、ドイツ国内だったらどこで働いてもいいし、フリーランスとしても働けるビザに切り替わりました。
これは本当にありがたいことで、このビザになると「会社を辞めたい時に辞めてもビザの心配をしなくていい」ということなので、精神的にはかなり楽になりました。
このタイプのビザを取得するにはきちんと就労して4年と聞いていたのですが、わたしの場合はワーホリ期間を含む4年で、このビザタイプに変わりました。参考までに。
フラットシェアに限界を感じた・ベルリンに飽きた
この年は楽しかったことは間違いないんですが、フラットシェアに限界を感じた年でもありました。
2011年からシェアをしていたので、この時点で6年間のシェア歴。フラットメイトには恵まれていましたが、自分が好きな時にシャワーを浴びれない、お風呂に入れない、料理を作れない等々そういうことが結構な負担になってきました。
6年もシェアしてたことと、30代半ばという年齢もあったでしょう。
またベルリンにも正直ちょっと飽きたなぁ~と思うことも多くなりましたかね。2016年あたりから飽きてはいたんですが、それに気が付かないフリをしてたというのもありますね・・・
2015年あたりからベルリンが移住ブームになって、ベルリン礼賛のブログや記事を見かける度に「なんかもうついてけない・・・そんなにいい都市か、ここ?」みたいな気持ちになってたのも正直なところ。なんかトレンドになってしまったことで、なんか自分の気持ちが覚めてしまった感がありますね。
そういうわけで2017年はこういう感じでした!次、2018年またまた変化が起こります。それでこのシリーズは最後です